壱.

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夢を見た。冷たくなっていく主上を抱き抱えながら、高氏君、と叫んでいた。血で頬を紅く染めた主上は美しかった。同時に、美しいと思ってはいけない、と無意識のうちに自分を制した。高氏君は、只悲しそうな顔をしていた。それだけの夢だった。 酷く汗をかいたので、手を叩いて従者に水を所望した。先刻、戦に勝った自分がなぜこうも追い詰められるのか。正成は耽った。4万の兵で7万の大軍を討ち破った。北畠顕家の援軍が来て、状況は壱気に形勢逆転したのだった。足利一門の参番手である斯波家長の首も獲った。なのに何故、今や落ち武者同然である高氏君に自分は追い詰められているのか。何故あの逆臣に未だ脅かされねばならないのか。 「正成様」 「雪か」 雪は、女の忍である。自分が赤坂で挙兵した頃には既に傍らに居た気がするが、出会いは覚えていない。よく働く女だ。自分や兵達が野営している間にも、動ける手勢のものを連れて高氏君を探していたらしい。 「して、高氏君は」 正成はぐいと水を飲み干した。 「見つけたようなのですが、高氏卿の執事である高師直に手勢達は返り討ちにあった、と」 「そうか」 高氏君は昔から、どこか奔放といった感じだったが、ここぞという勝負所では負けたことがなかった。天が高氏君に味方しているとしか思えなかった。血筋もあるのかもしれないが、同じく源義家卿の血を継ぐ新田義貞へは、そのような、畏敬の念にも似たような感情を抱くことはなかった。寧ろ、義貞には自分は血以外では負けていると思ったことはない。しかし、それが問題なのだ。九重での発言力も、戟に応じる武士の数も、血筋の名門さに比例していた。自分は、あの主上に拾っていただくまでは、野良犬のような悪党として過ごしていたのだから。  
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