第一章 「哀愁」

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「…ねえ、境介君…だっけ?」 「え?ああ…うん。」 五月蝿い部屋の中で突然隣にすり寄って来た女に目を向ける。 黒髪のショートカット、ついでに言えばアイドルによく居そうな今時の可愛らしさが目に付く。 「かっこいい名前だよねー。私は間宮梨嘉!梨嘉って呼んでね。」 「あー…うん。」 すっかり境弥の事で頭がいっぱいになっていた俺は、周りの盛り上がった空気からは大分外れていた。 「さっきからボーッとしてどうしたの?楽しくない?」 「いや、そういう訳じゃないんだけど…ちょっと考え事。」 「そっかー…。」 隣に座り直す梨嘉からは何か香水のような匂いが漂ってきて、僕の思考を少なからず邪魔した。 遠慮がちな視線を横から感じるが、無視してまた考え事に意識を集中させる。 境弥、あれは確かに境弥だ――…。 一年もたった今、どうして? あの日の事はよく覚えている。 俺は朝から遅刻したんだ。 境弥は呆れて先に駅に向かい、十五分遅れて俺も家を出た。 駅では電車が事故か何かで騒がしくて、その時は受験の事で頭が一杯で――… 線路に落ちたのが境弥だなんて考えもしなかったんだ。 境弥は賢い。俺の何倍もずっと… だからそんな馬鹿な真似はしない。 いつからそんな固定概念が生まれていたんだろう。 受験が終わって境弥を探すけど、どこにも居なくて。 帰宅して清香さんの心配そうな顔を見て、境弥が帰ってない事を知った。 いつ?どこで?境弥はいなくなったんだ? 嫌な冷や汗をかきながら道筋を辿った。 その結果、駅の人身事故での事を詳しく知った。 監視カメラに写る、姿勢の良い凜とした弟。 しつこいくらいのアナウンス。 吹き荒れる風、滑り込んでくる電車、真っ直ぐ前を見据えて大きく踏み出す――…境弥。 清香さんが息を飲む音が隣で聞こえて。 惨劇を予想した俺達の目の前には、いつもと変わらない駅の風景しか残らなかった。 境弥の姿は見つからず、その時身に付けていた衣類なども全てどこにも無かった。 まるで煙が歪むように、静かに境弥は消えた。 ―――――… 「…――ねえってば!!」 「えっ?」 急に声をかけられて体が跳ねる。 「もう、やっぱり聞いてなかった!」 「ごめん…何?」 眉間にシワを寄せた梨嘉が、困ったように笑う。
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