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とは、言うものの。 確かに、特定の語句に対して、非常に敏感に成っている方や、特定の語句で、深く傷つく方々もいらっしゃいます。
御家族・肉親・親しい方の中に、御身体の不自由な方がいらっしゃる方。
特に、恋人や御子息にいらっしゃれば、尚更でしょう。
しかし、残念ながら、そんな語句を亡くしてしまっても、“誹謗”“中傷”“差別”“虐め”は、決して無くなりません。
この事に於いては、後の章で語りますが、“言葉”を無くしても“概念”は残るのです。
更に言えば、この“概念”を亡くしたとしても、“感情”や“思想”は残ります。
結局、“言葉”とは、使い手の“倫理感”や“道徳感”、“想像”や“発想”に因って“武器”にも成れば、“癒し”や“薬”にも成るのです。
そう、問題は、“人間”が、如何に“倫理感”や“道徳感”を学ぶのか?
と、いう事であって、“言葉”や“語句”を糾弾する事では無いのでは、ないでしょうか?
そして、それを学ぶ為に“悪い例”が、必須なのです。
“悪い例”が無ければ、それが悪い事だという事すら、判ら無く成ってしまいますから。
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