産声

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それから毎日三時間置きに搾乳をした。 その搾乳に一時間はかかっていたので睡眠なんて、ほとんど取れない状態だった。 実母は、職場が近くでもあって 毎日様子を見に来てくれて、 世話をしてくれた。 病院で知り合いになった 患者の人からも『おめでとう』 と祝福してくれた。 相変わらず病院のご飯は 味気なくまずかったけど、 中毒症の時に出てきていた 食事に比べたら全然おいしかった。 実の姉も見に来てくれた。 とてもうれしそうに キャアキャア喜んで 興奮気味になっているのをみて、 私もこの子が祝福されてうまれてきたんだと胸をなでおろした。 毎日NICUへ足を運んで、 赤ちゃんに触れた。 狭い箱の中ですやすや眠る顔を見て安心した。 「生きてる」ことを確認しに行っていたのだ。 周りをみれば今にも呼吸が停止しそうな子犬の赤ちゃんほどの大きさの、ほんとに小さな赤ちゃんや、なんらかの難しい病気をもった赤ちゃんがいたので、まだうちの子はいいほうだと自分をなだめるときもあった。 綺麗に体を吹き上げてもらい、 やっと沐浴の許可がでたようだ。 それまでは、自分で体温調整ができないからと、 「汚い」といわれたパリパリの膜は垢のようについたままであった。 沐浴もして、ペカーときれいになった我が子。 顔立ちもはっきりとした、 それはかわいい天使だった。 泣く姿も、 一生懸命ミルクを口にする様子もすべてが愛おしく、 何にも変えられない程の宝物。 なにがあっても、 この子だけは不自由なく育てていきたいと思った。
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