自縄自縛

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 河井が高瀬のことを慮ってか控えめな調子で彼女から言い出た。高瀬は背丈がある。河井は小柄である。黒目がちの瞳が高瀬のことを見上げている。平静を装ってはいたが河井の面は耳まで赤かった。いつもの笑顔とは趣の違う愛らしさが彼女の顔に満ち満ちていた。胸が高鳴る。高瀬にはこの胸の高鳴りが恋愛のためかスリルのためか、さっぱり理解がつかなかった。  河井の手は小さく、指は細く、思いのほか冷たかった。手を繋いだために二人の距離が縮まった。彼女の髪の香り、ふうわりあたりに散る。オレンジの匂いのする髪だった。珍しいシャンプーだな、と思った。高瀬は覗き見るように河井の様子を横目で伺うが、彼女はすっかりそっぽを向いていた。ただ彼女の耳の端は先にもまして赤くなっていた。それが高瀬には嬉しかった。  風一陣吹き抜ける。都会の風はいやに臭い。空を見上げるとずいぶんに高く見える。田舎のほうであれば山麓が明瞭に見られただろう。気持ちのいい秋晴れである。都会の臭いを避けるため、高瀬は半歩河井に近づいた。こうすると河井の頭頂部が高瀬の鼻の辺りに寄る。オレンジの匂いしか香らなくなった。  高瀬らの通うT大学にはたいそう立派な銀杏並木がある。都内の大学で銀杏並木のあるものは珍しいため、この並木はT大学の一つの特色でもあった。葉はまだ色付かないが道すがらいくつもの銀杏の実の落ちているのが目に、鼻につく。高瀬の隣には藤原がいる。それほど寒いというわけでもないのに上着を二枚羽織っており寒い寒いと一人こぼしている。 「そんなに寒いかな」 「寒いわよ。私冬って大嫌い。夏のほうがよっぽど好きだわ」 「そうかい」  高瀬はただ藤原に従う。反論してもどうせ説き伏せられる。彼女との会話は疲れるだけであるし、いたずらに彼女を不機嫌にさせても割を食うのは高瀬自身だ。彼女といるといつもの御機嫌伺いで窮屈な思いばかりすることになる。  高瀬は俯き、足元ばかりを眺めていた。ほかの友人の前や合同授業、発表のときは進んでリーダシップを発揮する自分が何故藤原にだけは強く出られないのかと考えていた。すると不意に道端に転がる銀杏の実を藤原が踏みそうになるのに気づいた。腕を取ろうとした。しかし、すんでのところでこれをやめた。
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