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こくん、と音ひとつ鳴って、藤原のヒールが実を踏み抜いた。白い胚乳が飛び散る。銀杏の臭いがますます強くなった。藤原は顔をしかめはしたが大して気にする様子もなくそのまま歩き続けた。
踏み抜かれた実を見て、藤原は強い女なのだとひしひしと実感させらる。銀杏の異臭を纏ってさえ揺るがない。自分の存在を肯定している。なんとも勇ましい生き様である。
――僕とは大違いだ。
河井と会えるのは毎週末のみである。この日は月曜、つい一昨日に河井と会ったばかりなのに、すでにオレンジの匂いが待ち遠しかった。
「河井さんは季節、何が好き?」
土曜の午後、藤原はバイトのため早々と荷物をしまい家に帰って行った。首を長くし待ちわびた河井との「デート」の日である。河井はいつものように板橋の駅の一番端で待っていた。二人はお互いを認めるとたちまち笑顔になった。
「私は冬が好き。汗かかなくて済むし炬燵も好きだし」
「ぼくぁ、朝の蒲団の感触が好きだぜ」
「わかるわかる。私も好き。あのなかなか蒲団から出られないんだけど、学校いかなきゃならないしって葛藤も好きなの」
高瀬は単純に嬉しかった。好きな人と同じ嗜好が共有できることがこんなにも幸福なことだとは思ってもみなかった。河井といると楽しいし、何より疲れない。少し気障な口調で話してみても笑って受け入れてくれる。御機嫌伺いをしなくてもお互い笑い合えるし、むしろ彼女の方が高瀬の機嫌を慮ろうとするため、河井とのひと時は高瀬にとってなによりも快い時間であった。
「それにしても高瀬君も大変だね。資格を取るためとはいえこんなに毎日遅くまで学校あって……。せっかく早く大学が終わる今日だって私と会って、体しっかり休められてる?」
河井には藤原のことは一切話していない。免許取得のための必修科目が思いのほか多くなかなか暇が取れないという形で会える日の少ない理由を伝えている。学部が違うために河井は確認するすべはなく、彼の言葉を鵜呑みにするほかないのである。またそれは事実であり、今学期になってから藤原に会う機会自体目に見えて減っている。
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