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それが皮ぎりとなり、俺と奴が同時に互いに飛び掛かる。
拾った包丁を前に突き出し、ただ真っ直ぐに奴に突っ込んだ。
奴は身の危険を感じたのか、その楕円の体型を変化させ、長い蔓のような黒い触手を二本、前足のように生やすとその触手で床を押すようにして俺を飛び越えていく。
「っ! まだまだぁぁぁぁっ!」
すぐさま振り返り、迫ってくる触手をがむしゃらに包丁で切り払う。
もう無茶苦茶だ。格好も何もありゃしない。
けれど――――
「そうじゃなきゃ、素人が殺れる訳ねぇだろうが!」
そうして、無茶苦茶な体勢のまま奴に飛び掛かった。覆い被さるように奴を押さえ、激情に任せてその包丁を降り下ろした――
「…………か……っ」
つもりだった。
しかし、包丁は降り下ろされず、俺は胸の辺りを強く突かれた感覚にたまらず息を漏らす。
同時に激しい痛みが突かれた場所を起点に全身に広がり、暖かい何かが俺の腹に滴り落ちてくる。
あれほど暑く火照っていた身体が嘘のように冷え始め、あれほど強く握りしめていた包丁が簡単に手からこぼれ落ちた。
何が起こったのか。意味が分からないまま視線を落とす。
そこには奴の触手。その黒い蔓が俺の左胸を貫いていた。
自分の身体のことは自分がよく知っている。とは、よく言ったもので自身の今の状態を見て、直感に近いものが俺の頭をよぎる。
俺はここで死ぬ。
それを悟った瞬間、俺の身体は簡単に崩れ落ちた。操り人形が糸を切られたように俺はだらしなくその身を横たえる。
薄れ行く意識の中、朧気に映る視界の端に奴がいた。
奴は横たわった俺の身体を数秒凝視すると、おもむろに触手を俺の左胸に空いた穴に押し当てる。
もう、視界は真っ暗。意識も無くなる寸前。よく分からない言葉が俺の頭に直接入ってきた。
――――ミツケタ。
こうして俺は死んだ。何も出来ず、何も返せず、多くの未練を残しながらこの生涯に幕を閉じたのである。
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