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その瞬間である。彼女の纏う雰囲気が急激に張りつめる。
鋭い視線は彼女の真下。今の時代には少々時代錯誤な大きな武家屋敷に注がれていた。
彼女はこちらの世界ではほぼ感じる事のない気配を感じ取り、何処か納得のいかないような表情を浮かべる。
「……殺気? それにこの不安を助長させるおぞましい気配……」
そう、彼女が感じたのは殺気。それもかなり濃密な、である。
感じた時間こそほんの数秒だったが、その殺気の後を継ぐように今度は形容し難いおぞましい空気が場に漂っていた。
その空気に彼女は知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。
「前言撤回。今宵はとても楽しめそうだわ。こういう事がたまにあるからこの世界は止められないのよ」
――――まぁ、たまにと言っても百年に一回程度だけど、と紫は先とはうって代わりとても楽しそうな顔でゆっくり高度を下げていく。
「さぁ、藪からは鬼が出るか蛇がでるか。何にせよ精々この大妖怪を楽しませてくれることを期待していますわ」
そう、いないはずの第三者に語りかける紫。その声は、何処までも妖艶 で、何処までも威圧的で、何処までも嬉々とした響きを持って闇夜に溶けていった。
――――――――――――――――――
「…………これは」
屋敷に侵入した紫は屋敷中を隈無く探索し、ある一室にたどり着いた。
そこには老いた夫婦らしき女と男、そして学生服を着た少年が血を流しながら倒れていた。
「…………ふむ」
その光景にこれと言った反応を紫は示すことなく、老夫婦に近寄り、右手の手袋を外すとその手を二人の首に順に押し当てる。
「脈はあるわね。…………惨状に比べて傷もそれほど深くない。これをやった子はよっぽど散らかす事が得意みたいね」
ふふっ、と艶やかに笑うと彼女は指を一振りする。すると、老夫婦の身体にあった幾重もの切り傷が自らの意思を持つかのように閉じていった。
「…………んっ、……」
「あら、気がついた?」
老人が傷が塞がると同時に眩しげに目を開けるのを見て、紫は満足気に微笑んだ。
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