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そこで紫は死体を指していた扇子を、おもむろに何もない空中で滑らせた。
すると、その軌跡をなぞるように空間に不可思議な裂け目のようなものが現れた。
その裂け目に寄りかかるように紫は腰を降ろし、話を続けた。
「このナニカは結論から言えば、この子の身体を欲しているの。このモノはこの子の身体を使って何かをするつもりよ。だからこそ、この身体を万全に整えている状態。もし、この身体が万全の状態になった時は……この子は再び動き出すわ」
「しかし、心臓は止まっているのじゃろう。なら動くことなど……」
「私が言った完全に死んでいるってのはただ単に心臓が動き出さないって意味じゃないわ。放っておけば、このナニカはこの子の心臓も万全な状態にして生物学上は生き返らせてくれるでしょう」
――――けれど、と紫は言葉を繋げる。
「それは以前のこの子とは全く違う存在。このナニカがとって変わった、姿形が同じだけのバケモノよ。この子は完全に死んだわ。この子の中身が完全にね」
紫がそこまで言うと、老人はもう何も言い返しはしなかった。ただ、突き付けられた事実に悔し涙を流し、顔を伏せていた。
無理もない、と紫は老人を憐れんだ。自分の息子がよく分からない理由で命を落としたと言われたのだ、理解はしても納得は出来ないに違いない。
「本当に何も出来ないのか、本当にこの子は……このまま死んでいくのか?」
老人の問いかけに紫は答えない。空中に浮かぶ、裂け目に腰をかけたまま老人を見下ろしていた。
「妖怪のお嬢さん。わしはこの子を貰った時、この子は幸せにしてやらなければ嘘だと思った。そう思って、今まで育ててきたつもりなんじゃ」
「貰った? なら……」
「あぁ、血は繋がっておらん」
自嘲気味に老人は呟く。
「血も繋がっていない赤の他人が見ず知らずの子供を幸せにしてやりたいなど偽善なのかもしれん。じゃが、お嬢さん。お主はこの子が孤児院にいた頃、どんな目をしておったか知っておるか?」
老人は言葉を紡ぎながら涙を流す。二度と戻らない息子を思いつつ、守りきれなかった自分を悔やみつつ。
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