始まり

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ろくに確認せず、包丁やらナイフが入った引き出しを引っ掻きまわしたもので手のひらからは血が流れている。 そんな手のひらをまじまじと見つめた後に、ゆっくりと顔を前に向けた。 「..................」 そこには血よりも遥かに濃い二つの赤い丸が俺を見据えていた。 身体が震え続ける。動転して息を吸うことを忘れる。 根拠はない。しかし、確信する。 これが"死"だ。 そう思い至ったのと、黒い塊が動くのは同時だった。奴は予備動作もなく、ただ安直に飛びかかってくる。 「ちくっ......しょお!!」       俺がそんな唐突な奴の行動に反応できる訳がなく、包丁という武器を持っている事も忘れ、両手を目の前で交差させ、目をかたく閉じた。 ガシャァンという盛大な音を立て奴が台所に突っ込む。飛びかかられた俺は全身を叩きつけられ、呆気なく意識を手離す。......はずだった。 「はっ、はっ、はぁっ......!?」 荒い呼吸をしながら、俺が恐る恐る目を開けると俺は台所の壁にもたれかかるようにして座っていた。 上を見上げると、流し台に全身を派手に叩きつけた奴が動きづらそうに蠢いている。 ......どうやら俺は逃げ腰のまま無意識にへたり込んでいたらしい。それが項をそうして、奴が俺の頭上を飛び越えていく形で難を逃れたようだ。 ついてる。俺はついてる。とんでもないラッキーだ。今はどんな高額の宝くじが当たった時よりも運がいいに違いない。 しかし、ただそれだけだ。現に奴は未だに俺の真上でもがいているし、危険な状況が続いているのは間違いようのないことだ。 けれど、俺はまだ生きている。生きてここにいる。 その事実だけで俺は救われた気分になった。生きていれば抗える。恐ろしいほど感じられるこの"死"の中でも自らを生かす希望が見えてくる。 気分が落ち着いてくる。たった一度の幸運が俺を先程より遥かに冷静にさせてくれた。本当にありがたい。 俺は生きたい。こんな訳の分からない生物なのかすらもはっきりしない奴に人生を奪われてたまるか。 こんなに唐突に納得できないまま死んでなんてやるものか。 言いたい事は山ほどある。この激情は何を言ってももの足りないぐらいだ。 ただこれだけは言わせてもらう。 「俺は......死なない!!」
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