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「はい、ビールですね、ところで、巻野さんイヌは嫌いですか」と、言い、店主は後ろの棚から、コップを手にとった。
「子供の頃、噛(か)まれまして、それから、かみつく動物は嫌いになりました」
「そうですか、犬に噛(か)まれたんですか」と、店主はコースターへグラスを置き、一杯目のビールを注いで、竜太の手元へ滑らせた。
それを竜太は一気に飲み干し、喉を鳴らして、
「さすが一杯目のビールは旨いね、いやなことも忘れるね」
「いやなことでも、何かあるのですか」僅かに生やした、口ひげを動かしながら、店主は訊(き)いてきた。
「世の中が、おもしろくないね」
「そうですか」
「この年になるまで、いいことなんか、何も有りませんからね、いっそ、死のうかと思ったこともありましたよ」と、竜太は、いやな過去を頭の中に浮かべて、ビールの泡を凍り付くような眼で眺めた。
「それはまた、ぶっそうな話ですね」赤いチョッキの襟に手をやり、店主が言った。
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