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当然そんな疑問が貴文の頭に浮かんだが、彼は路地から目をそらして、足早にその場を立ち去った。
まるでそれを見送るかのように、カラスアゲハが路地からひらひらと出てきて、しばらくその場を飛び回った後、路地の闇に溶けていった。
花月は部屋の窓を開け、屋根の上に置いた水盆をぼんやりと眺めていた。
貴文が青い顔で走っていく姿を水の中に見つけ、細い溜め息をつく。
間もなく開け放った窓から、黒い絹のような羽を持つカラスアゲハが舞い込んできて、花月の指に止まった。
花月は蝶を見つめて優しく言う。
「ご苦労だったね。彼にきちんと忠告もしてくれたようだ。」
するとカラスアゲハは花月の指から離れ、部屋の真ん中に飛んでいき、黒い薄物を素肌に纏う、細身の女に姿を変えた。
女は恭しく頭を下げ、花月に言う。
「仰せの通りにいたしました、我が主。」
「僕の姿をしたお前が、あの暗い路地で姿を蝶に戻したから、彼は驚いていただろう?」
「はい、我が主。消えたように見えたようで、大層怯えておいででした。」
「そうだろうね。それにあの道は……。」
花月は言葉を切り、艶っぽく微笑む。
「それはそうとして、朧、お前にはもう少し働いてもらいたい。」
「はい、我が主。早速参ります。」
「いや、すぐに行くことはない。少し羽を休めておいで。」
花月はそう言うと窓を閉めて、朧の頬を指で撫でた。
朧は澄んだ灰色の目で花月を見上げて小さく頷くと、部屋を出ていった。
一人になった花月は、畳の上に横になる。
そして華奢な腕を無造作に伸ばし、腕を伸ばしたほうへ体を横に捻った。
ふと、指先の辺りを見やれば、朧が残したきらきら光る鱗粉が畳に残っていた。
その煌めきを視界にとどめたまま瞼を閉じれば、夜空に星が輝いているように思える。
しばらく気が抜けなくなることを考えた花月は、一時、その煌めきに浸った。
花月に楠原のことを聞いてから、貴文は積極的に楠原と行動を共にした。
クラスが違う貴文が急に接近してきたことに、楠原は少なからず不審そうではあったが、元々同じバスケット部だったこともあり無下にすることもできないまま、惰性で貴文に付き合っていた。
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