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 「空気がよどんでる……。」 黒髪の少年が苦々しく呟く。 少年は息苦しそうに学生服のボタンを開け、駅前の人ごみをかき分けあたりをきょろきょろと見回した。 初夏の曇り空が風まで飲み込んでしまったかのように蒸し暑い東京の街に、少年の心も曇ってゆく。 ベルトに結びつけた懐中時計をポケットから引っ張り出した少年は溜息をついた。 待ち合わせの時間はとうに過ぎているというのに、彼を迎えにくるはずの人物の姿はない。 鞄の重さが肩に食い込む。  「あ、おったおった~。」 少年は声のほうを向いた。 長い黒髪を赤い組み紐で一つに束ねた男がひらひらと手を振っている。 年のころは三十ばかりに見えるこの男はにやにや笑いながら、少年の頭に手を置いた。 「迷子にならへんかったか?」 「吉次さん、待ち合わせは一時でしたよね?」 少年は微笑みながら、吉次の手を払いのける。 「今何時?」 少年は懐中時計を吉次に見せる。 「なんや、三十分しか遅れてへんやんか。」 「三十分もこの空気の悪いところにいなくちゃならなかった僕の身にもなってください。」 「すまんすまん。ほれ、荷物寄越しい。そのほそっこい体じゃきついやろ?」 少年は少し戸惑ってから、荷物を吉次に渡した。  鞄にぶら下がったネームプレートに気が付いた吉次は首をかしげる。 「あれ?こういう漢字だったん?」 「漢字?」 少年が眉をひそめる。 吉次は黙ってネームプレートをつまんだ。 そこには「藤間花月」とあった。 「かづきってこういう漢字だったんやね。初めて知ったわ。」 「……代々名前に『月』の字を入れるのが決まりなのでしかたないでしょう。」 「そういわれてみると、みんな月の字ついとったなぁ。」 「三百年の付き合いでしょう。今更何を言うんですか。」 「花月の冷たいところは胡月の旦那と似とるな。」 「曾御祖父様にはお会いしたことありませんからなんとも。」 「会ったことなくとも分かっとるくせに。」 花月は何も答えず、ただ悪戯っぽく微笑んだ。
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