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凝と虚空を見つめて死を考えていた。彼曰く、いつか自分が死ぬということを考えると、心が抜け落ちるような冷たい虚無を感じるという。
――人間はどうして狂ってしまわないのだろうか、……いずれ無に帰すと解っていながら……
あるとき私の髪を梳りながら、私の鏡像に向かってそう言った。対話を滅多にしない彼のこと、それは独言だと思い、私は黙っていた。死に就いて私が思うことは、どう足掻いたところで人間は必ず死ぬということ、むしろ死ねないことの方が恐ろしかろうという、月並みなものに過ぎず、それは極めて観念的な事象に過ぎなかった。
――枢、君はどう思う
今度は鏡像ではなく私の顔を覗きこんで彼が言った。油断して私はまともに彼の瞳を見てしまったので、思わず躯を強張らせてから、少し考え、ガリヴァー旅行記第三篇『ラグナグ渡航記』を引合いに出した。そこにストラルドブラグと呼ばれる【不死の人間】が登場するが、その醜さを目の当たりにしてガリヴァー氏がすっかり不老長寿への願望を失ってしまうというものである。しかし彼は、叶うものなら是が非でもストラルドブラグとして生まれたかったものだと言って少なからず私を驚かせた。
――死の恐怖に比べれば永遠の老醜などわけはない
――死んでしまえば、死の恐怖に苛まれることもないはずです。何も無くなってしまうのですから
――そう無だよ。枢、だから怖いのじゃないか
――それは。私には解らないです……
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