函の中の万有引力

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     帽子屋は彼と同年代の青年だった。糊の利いた襯衣に濃紺の襟飾を巻いている。明るめの黒髪には帽章の付いたベレー帽を斜めに載せていた。  私が2種の帽子を欲しがっていると聞くと、麦藁は初夏になれば種類も豊富になるだろうからそのときにまた探せばいい。今回はひとまずキャスケットをお作りしましょうとのことだった。帽子屋は極めて慇懃に振舞い、枢お嬢様などと私を呼んだ。帽子の設計図には私も大いに口を出し、やがて完成したそのキャスケットは長らく私の頭を飾ることとなる。  考えてみれば、私が自らを装飾することを意識したのはこれが初めてだった。その帽子を起点として、帽子に合った服、靴、装身具、そして仕種や言葉遣い等、その立ち居振る舞いが決定され、外見が形成されてゆく。身に纏うものの基準が寒暖ではなく、自らの美意識に基づくようになったのもまた彼の私室でのことだ。  期日、完成品の受け渡し。お似合いですと笑いかけて帽子屋は去った。以来、帽子屋を見たことはない。そう言えば、彼の部屋を訪れる者を目にしたのは、それが唯一のことだった。彼は知人をあまり多くは持たなかったようである。そしてその数少ない知人たちにおいても、私室へ招くことは滅多になかった。     
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