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私室に存在する品々には統一性は無く、その全てが彼の美学、知的嗜好に依って徹底的に支配されていた。これは、彼の傾向である。
例えば彼は作家Bの『Ⅲ』という小説を愛読し、初版、廉価版、函入り、原書等、悉く蒐集して、ノートに書写までしていたが、同じ作家Bの『Ⅰ』あるいは『Ⅱ』、もしくは『Ⅳ』の小説には興味を示さず、手に取ろうともしなかった。したがって南側壁面の書棚に収められていた作家Bの著作は『Ⅲ』のみである。当時の文壇は作家Bの『Ⅳ』を高く評価しており、『Ⅲ』などはそれ単独で論じられることなど先ず有り得ない、せいぜい『Ⅳ』を論じる際にその前作として引合いに出されるくらいのものだ。であるから、本来ならば『Ⅲ』の隣には『Ⅳ』があり、さらに言えばその隣には『Ⅴ』があって然るべきなのだが、彼の書棚に限っては『Ⅲ』の隣が工学、その隣は楽譜、そしてその隣が掌篇『駅で』……といった具合である。
作家Bに限らず、俗に三部作などと呼ばれるものが行儀よく並んでいることなどあったためしがない。甚だ無秩序である。彼は自身の嗜好に忠実であって、それに敵わないものは嫌悪すら示さずただ無関心であるだけだった。そう、彼の私室には彼が鍾愛する品々だけが存在しており、その空間においては、彼が好ましくないと感じるものはその存在すら許されなかったし、彼の口に上ることもなかった。
その部屋には彼の歪んだ美学だけが絶対的に君臨していた。あれほど統一性の保たれた私室というものを、私は他に知らない。そう考えると、その部屋に出入りしていた私は、彼の世界に存在を許された一オブジェであったという認識も充分可能であろう。
――函だよ
彼は語った。もとよりこの私室はひとつの函だったと。
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