或る末裔の気紛れなピエタ

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不意に、さらさらと流れる水の音が慎太郎の耳に入った。 どうやら近くに川があるようだ。 ふと付近を見渡せば、いつの間にか少し奥まった所に来てしまったらしい。山の中だった。 視界に舞い散る山桜が目に入り、川の流れと共に思い出されるのはひどく有名なあのメロディ。はて、あの曲のタイトルは何と云ったか―――… 慎太郎は記憶を頼りに、気ままにそのメロディを口ずさむ。 時折鼻歌も織り交ぜて、覚えていない部分の歌詞は誤魔化しつつ、何の気は無しに、川のせせらぎの方へと一歩、一歩と近付いていった。 川の方へと近付くにつれて水の匂いが強くなり、それにほのかな桜の匂いが溶け合い、混ざり合っていく。 「はーるのー…うらーらーのー…」 すみだがわ、と言葉にしかけて。 斜面を降りて川を前にした時、思わず慎太郎は言葉も忘れて息を呑んだ。 その光景は、まるで。  * * * 「それ」は一枚の絵画のようだった。 川の縁、調度散った桜の花弁の滞る場所に「それ」は夢幻のように、存在していた。 慎太郎の眼前で、桜の花弁に埋もれて川の水流にたゆたっているのは、一人の男だ。 …否、彼を果たして一人、と形容するのは正しくないのかも知れない。 何故ならば―――、 彼は普通、「足」と定義するものを持っていなかったのだ。 代わりに、その下半身が象っているのは、そう、言うなれば魚の尾ヒレのようなそれ。 ――回りくどい言い方を止めれば、桜に埋もれる彼はつまり、 俗に言う「人魚」だった、という訳だ。
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