或る末裔の気紛れなピエタ

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 * * * まず、人魚を水面から引き上げた慎太郎は、その姿があまりにも目立ち過ぎる事に気付いて狼狽したのだった。 あの光景を見た時に受けた衝撃がまだ残っていたのだろうか、その程度の事にすぐに気付かない程に、彼は兎に角、冷静では無かったのだ。 一先ず安全で、彼の治療が出来る場所へ、と思うのだが、生憎彼は異形の者であって。 万が一、一般人に見られようものなら一体何をどう説明しろと言うのだ。 そう考えるならば自分の家しか無いのだが、途中の道程はどうする。 全く人とすれ違わない可能性なんて、さっき散歩した感じからして、まず皆無だろう。ならば――、 そうやってぐるぐると思考を凝らしている時に、ふと腕の中の人魚へと視線を落とすと、慎太郎はある事に気が付く。 不思議な事に、水から離れた人魚の《足》は魚に近いそれから、ヒトの持つそれに近いそれに変化していたのだ。 通常なら呑み込めない不条理だが、そもそも人魚自体が常識から外れた存在だし、自分自身も普通の人間からすれば大分イレギュラーな存在だ。それに、事は一刻を争う。 あれこれ考えるのを後回しにして、慎太郎はジャケットを人魚に被せると、そのまま元来た道へと走り出す。 幾人かと擦れ違った気もしたが、そんな事に構っている余裕は無かった。 「誰も自分達の姿を見ても呼び止めはしなかった」事も、部屋に戻って落ち着くまで、慎太郎が気付く事は無かったのだが。 それからは、アパートの階段を一段飛ばしで駆け抜け、迅速に部屋に飛び込み、人魚をそろりと敷きっ放しの布団に寝かせて。 慌しく段ボールを端から引っ繰り返し、実家の母から持たされた救急箱を探し出して、どうにか応急処置を終えた頃には、彼の頭も数分前よりは随分と冷えていた。 そして、落ち着いた頭で、彼は真っ先にぼんやりと思ったのだった。 「(俺は一体、何をしているのだろう?)」 と。 冷えた頭とはいえ、漠然とした問いに、流石に答えは弾き出さなかった。  * * * 改めて思い返してみると、我ながら無様で、到底恰好良いとは言えない行動だった。 おまけに無計画ときている。もう何だか最悪だ。 慎太郎はこめかみを抑えると、「阿呆か、阿呆なのか俺は…、」と、ひとり呻いた。
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