ミキ

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「中学生の頃さ、校舎の裏にキンモクセイが咲いてただろう?あの匂いがたまらなく嫌だったんだ」 ユウは水色のソファに座っている僕をじっと見て続けた。 「だからさ、ミキが言ったみたいに虐められたからとかじゃないんだよ。俺が部屋に引きこもるようになったのは、わかるだろう?」 少し部屋が暑くなった気がする。手の甲で額の汗を拭って、何か言おうと考えたが結局、出てきたセリフは、そうか、キンモクセイかか、だった。 「そうだ。話は変わるけど、夢は叶ったか?ミキ」 まあ、叶っていたらこんなところにいるはずが無いけど、とユウは笑った。 「ああ、残念だけど、入れなかったよ。空自には」 空自。 航空自衛隊に入るのが僕の小さな頃からの夢だった。 それをユウに教えたのは小学五年生のときで、たしか学校の帰り道だったと思う。 元々、パイロットになれ、と僕に勧めてきたのは小説家だった父親で、あまり有名では無かったが、僕は父の書く文章が好きだった。 父は学生時代に、全学連に所属していて、様々な学生運動に参加していたが、原子力空母エンタープライズの寄港阻止闘争に参加した際、エンタープライズの甲板でテスト飛行の準備をしていたF-16の重々しいエンジン音が学生達の声や塗り固められたばかりのアスファルトの臭いを掻き消したとき、自分の力の無さを思い知らされたらしい。 それ以来戦闘機に魅せられた父は、よく僕に戦闘機の模型を買ってくれたり、自衛隊の航空ショーに連れて行ったりしてくれた。 そのうちに、何時の間にか、僕もパイロットへの道を目指す様になっていた。 戦闘機の速さや離陸の際の力強さは幼かった僕を魅了するには充分すぎたのだ。 そんな父も僕が中学生になった年の秋に肺癌で死んでいる。 「そうか。それは残念だな」 ああ、と僕は返す。 長い沈黙が僕らを包む。 だが、それに嫌な気分は抱かない。 むしろ、僕とユウを囲む様に薄くて透明な膜が出来た気さえもする。
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