一 女子学生

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一 女子学生

2012年 2月19日天候曇りの雨     昨日、爽やかな、朝を迎えていた。朝食を食べると、奈良県を後にして、古巣の古都の街に帰り、長年住み流れ乍らも、従姉妹の姉と、共に、久し振りに清水寺に立ち寄った。散々あれほど、京の空を駆け巡った私が、事もあろうに、熊本県から、来て来れていた女子学生に、乗りあわせる事になった清水寺行きのバスの行く先を聞くとは笑止千万ばかりなり。折角の楽しみを少々とは、言え奪ったのではないかと思う。是、又、私達の行った修学旅行のギャップさを感じるのは、恐らく同年配の引率された先生達の御足労様も、昔の苦労さも今もそれで大変さは、差異はないだろう。そうした中で生徒を引率した事が蘇って来た。当時は、GPS機能的付き携帯なんてはなかった。今日の第一の目的は、お袋の病院の見舞いに行く事。そこで、再び、兄(従兄弟)の処に行って奈良に、トンボ帰りに帰って来ると言う強行さだ。そうした中で、今日の新聞欄の元 少年犯罪の死刑判決の記事を見ていた。だが、私には、何故か、一つの不調和音と言うのか、そう言うモノが、残るのだ。 少年法に守られている法律と言う モノだけとMさんの正義の声だけが、クローズアップされている。判 決の趣旨は、冷酷且つ残虐非道で、とても、人間のなせる業とは思われないとある。それは、そうであろう。一面識のない人間が、赤ん坊を床に何の違和感もなく、又躊躇う事なく、投げ捨てる事が、出来るだろうか?との疑問が残る。幾ら精神に支障があるとは、いえ、それは、精神科の人達に対して失礼極まりないモノだ。それが、於ける行為としては、相手が、威嚇、又は、攻撃を加える時だ。 その中で、肝心要の精神鑑定がなされて無かった事だ?それは、もし、私の推察するとしたら、精神性と判断された場合、心神喪失となり、死刑と言う認識に於いて裁判官の鑑定に依る、右陪審、左陪審に係わる事項と裁判員制度に依って、覆されるとの関連さと連鎖に基づくからだろうか?。 又、附随するならば、今後の未成年者の十字架の為に行なったモノなのか!
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