「情」の原点とは?

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前章の(なぜ人は「恋」に憧れるか?part1)にも触れたが、男女関係における 「恋」→「愛」 の次にくる感情は、 「情」である。 この「情」という文字の構成は、「心(りっしんべん)」が「青」くなっている。 ここでいう「青」は、心が青覚めているというより、《心が落ち着いている、満たされている》的な有り様を意味している。 それを裏付けるものとして、「青」という文字は、「生(いきる、くらす、根付くの意味)」「丹(まごころ、赤色の意味)」で構成されているのだ。 従って、「情」というのは、男女が「恋」に落ち、「愛」する種(子供)を作り、共に下心もなく満たされた気持ちで生活をしていく有り様が本来の意味なのである。 だから、それらを守るために「(情)熱」をかけ、家族の絆を深めるために「愛(情)」を注ぐ。 「情」になると、熱わ愛などを必死に込めて頑張らなくてはならない現実がついてくるのだ。 しかし、現代社会ではどうだろうか? その現実から目を背け、またエゴとしての下心に憧れを持ち、不倫や離婚などに走ってしまう傾向が垣間見れる。 こんなはずじゃなかった…とか、相手が自分のことを分かってくれない…とか、自分だけ一生懸命やってるのに…とか、何も買ってくれないとか…、都合のいい言い訳ばかりして、目の前の「愛」や情」 に目隠ししようとしてないだろうか? あの付き合い始めた時、結婚をした時の恋愛(今風に言えば、ラブラブ?)の気持ちは嘘だったのだろうか? そんなことはないはずである。 ホントはその人と一緒にいることが一番安心だから、その人が自分を生かしてくれてるから、という気持ちを素直に出せなくなってるだけ。 「年をとると、そんなこと恥ずかしくて…」と言われるだろうが、そのくせ、若さを追い求めてることに滑稽さを感じる。 若さを求めるなら、いつまでも相手に素直な気持ちをぶつけて欲しいものだ。 ちなみに、「情恋」という言葉はこの世に存在しない。 「情」から下心のある「恋」に戻ることができないのが、本来の男女関係なのだ。 ただ、人間っていうのは、ダメと言われれば、やりたくなってしまう愚かな生き物。 夢のような世界に憧れを持つことに理解できない訳ではないが、こんな時代だからこそ、もう一度原点に戻るために「情」の深さや大切さを考え直すのもいいんじゃないかと思う。
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