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最近、不思議に「ごめんなさい」って言えない人が多い…
この言葉は、人間関係や信頼関係などを保つ重要な円滑剤なのに。
これは、現代社会が齎す負の遺産になっている気がする。
先ずは、「本気で怒られなくなったこと」。これは体罰も含め、心に衝撃を加えることがなくなったことである。
人間も含め、動物は、衝撃的なことに直面して、初めて「気づきや学び」を覚える性質を持っている。
「恐い」「痛い」などの記憶が自己形成する肥やしになるのだ。
家庭、学校、職場…
最近、本気で怒るや怒られる環境は激減している。
負のスパイラル…
本気で怒られたり、おこったりする経験が少ない人は、当然恐さや痛みを知らないから、「ごめんなさい」の言葉が出ない…いや、出すことが分からないのだ。
それから、「ネットやゲームなどの仮想世界への依存」。
ネットやゲーム、テレビなどは完全に《一方通行の関係》で、関係のルールは自分。
それらから衝撃を加えられることもなければ、謝ることもない世界。
そこで育った人が、いざ実社会に出ると、ルールの主導権が変わるため、人間関係を築くのが億劫になる。
だから、すぐキレたり、人を平気で傷つけたりしてしまう。
その上、人間臭さを失ってしまうという副作用も出てしまうのだ。
そして最後に、「自分や相手を信じてないこと」。
所謂、自分も相手も軽く見ていて、自信もないから、「ごめんなさい」と言えないのである。
そもそも、「ごめんなさい」という言葉は、起こった事象に対して「御免(まぬがれたい)」と乞い願うことが一般的な意味だが、その裏側には、「自分を変えます」「あなたに従います」という意味がある。
「自分を変える」ということは簡単なことではない。
また、「相手に従う」ということも案外気持ち的にはいいものではない。
信じられないものに対して、生き方を変えたりしたくないから。
でも、自分や相手を素直に強い気持ちで信じることができれば、心から「ごめんなさい」を言えるはずだし、もっとよい人間関係も築けるのである。
「ごめんなさい」は、
《私もあなたも信じます》
という素敵な言葉なのだから。
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