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「……非常口。ここを出れば、裏口に出られる。そしたら全速力で逃げろ。後は、俺が何とかしておくから────」
先程まで握られていた鈍色のメスはすでにその手から離れ、私を捉えるその瞳から、後悔の色が少し和らいでいるのを私は知った。
ああ、どうしよう。涙のせいでまともに声が出ない。
彼に言いたいのに、「心配しないで」と、「"あの子は"貴方を今も見ています」と。
だけど、私の詰まった喉から決死の思いで吐き出された言葉は、そんなものじゃなかった。
もっと短くて、もっとも相手を思えた時に自然と出てしまう、あの一言。
「……ありがとう────」
それ以上、私には何も言えなかった。
悲しかった。彼の背負う過去があんなに悲惨なものだったなんて。
いいえ、それを悲惨と思うのは相手を本当の意味で理解していないから、だから同情してしまう。
だから私は悲惨だとは思わない。
私よりも、悲しい貴方へ。
道行く人の心が嫌でも聞こえてしまう。
そんな《心声(テレパス)》を持って生まれた私よりも、遥かに深い悲しみと愛を抱いている貴方へ。
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