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望月橋を後にして十分ほど車を走らせたところに宿はあった。
宿の名前は「千龍」。
タクシーの運転手が言っていた通り、この旅館にはかなりの歴史があるのだと見ただけで分かった。
ここはもともと、平安時代の貴族が住んでいた屋敷であり、後にそれを改装して宿としたらしい。
そんな話のある場所であるから、広い敷地の中にたてられた建物、そして庭の美しい宿だった。
そしてこの宿には看板犬がいて、ソラとよく似た白い犬だった。
犬を散歩させていた若女将に話しかけた。
「お名前は?」
「シロと言います。
でも、お客様はみんなお父さん、と呼ぶんですよ。
シロは気に入らないみたいなんですけれどね」
隆也が苦笑いを浮かべた。
「うちの犬もなんです」
上品な女将が現れ、隆也を丁寧にもてなした。
案内された部屋は驚くほど広い。
畳十畳ほどの空間に、テーブルが一つ。
大きな窓からは庭が見えるような作りになっている。
床の間には、十二単をまとった美しい女性の掛け軸が掛けてある。
桜の下で男性と花見をする様子が描かれているようだ。
それから、人間国宝の陶芸家が作った壺、花瓶が飾られていた。
高田はいい加減な宿を予約していたのだと思ったが、自分では絶対泊まれない、由緒正しい本当の高級旅館だった。
料理も芸術品と言っていいくらい美しく盛り付けられており、これも雑誌のために写真を撮っておく。
タクシーの運転手が美人だと言っていた女将は、確かに美人ではあったのだが年齢が五十代。
二十八の隆也にはかなり年上すぎる。
しかも、女将は既婚者であった。
女将に多少期待していた隆也は、多少がっかりしたことを悟られないようにしていた。
美味い料理を食べ、そしてゆっくりと湯につかり、思う存分くつろいで、早めに寝ることにする。
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