17/30
前へ
/147ページ
次へ
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ 望月橋を後にして十分ほど車を走らせたところに宿はあった。 宿の名前は「千龍」。 タクシーの運転手が言っていた通り、この旅館にはかなりの歴史があるのだと見ただけで分かった。 ここはもともと、平安時代の貴族が住んでいた屋敷であり、後にそれを改装して宿としたらしい。 そんな話のある場所であるから、広い敷地の中にたてられた建物、そして庭の美しい宿だった。 そしてこの宿には看板犬がいて、ソラとよく似た白い犬だった。 犬を散歩させていた若女将に話しかけた。 「お名前は?」 「シロと言います。  でも、お客様はみんなお父さん、と呼ぶんですよ。  シロは気に入らないみたいなんですけれどね」 隆也が苦笑いを浮かべた。 「うちの犬もなんです」 上品な女将が現れ、隆也を丁寧にもてなした。 案内された部屋は驚くほど広い。 畳十畳ほどの空間に、テーブルが一つ。 大きな窓からは庭が見えるような作りになっている。 床の間には、十二単をまとった美しい女性の掛け軸が掛けてある。 桜の下で男性と花見をする様子が描かれているようだ。 それから、人間国宝の陶芸家が作った壺、花瓶が飾られていた。 高田はいい加減な宿を予約していたのだと思ったが、自分では絶対泊まれない、由緒正しい本当の高級旅館だった。 料理も芸術品と言っていいくらい美しく盛り付けられており、これも雑誌のために写真を撮っておく。 タクシーの運転手が美人だと言っていた女将は、確かに美人ではあったのだが年齢が五十代。 二十八の隆也にはかなり年上すぎる。 しかも、女将は既婚者であった。 女将に多少期待していた隆也は、多少がっかりしたことを悟られないようにしていた。 美味い料理を食べ、そしてゆっくりと湯につかり、思う存分くつろいで、早めに寝ることにする。
/147ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加