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そして、彼女は若女将を従えて、真っ直ぐに床の間の掛け軸の前へと向かった。 「誰なんですか、あれは?」 しかし、女将は隆也の質問に答えない。 ただ顔を真っ青にして、右手で口を覆っていた。 不安に耐えられない隆也が、更に声量を上げて聞き直す。 「……なんですか!?」 隆也も女将と若女将が見ている掛け軸を、二人の間から覗き込んだ。 「何ということ……」 掛け軸には、桜狩りをする着物姿の男女が描かれていたはずだった。 ところが、今掛け軸に描かれているのは、十二単姿の般若が男に襲いかかる様子だった。 その男も、以前描かれていた束帯姿の優雅な貴族ではない。 青い狩衣を羽織り、必死に逃げおおせる男の姿。 彼の表情は、恐怖におののいていた。 「水縞様、この掛け軸に描かれている人物のことをご存知ですか?」 「全く、知りません」 「では、水縞様が見た女性に見覚えはございますか?」 「ありませんよ!!」 隆也をはじめ、全員が蒼白な顔のまま黙り込んでしまった。 その沈黙が、隆也を余計不安にさせる。 女将もそれを十分に承知していた。 「お話は、朝日がのぼってからにいたしましょう。  別のお部屋にご案内いたしますので、朝までごゆるりとお休みになられてください」 「そんな、あんなことがあってから眠れるわけがないでしょう」 「ご安心くださいませ。  シロの近くに、あのお方が現れることはできません」 女将の口調には、かなりの自信があった。 「もし差支えなければ、シロをお部屋にご一緒させていただけませんか?  水縞様を、シロがお守りいたします」 女将はふざけている様子ではない。 隆也は黙って頷くほかなかった。
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