独白

2/3
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ
「あ、あああ……」  目の前で横たわるつい今し方まで生きていたモノは、変色した肉をぶら下げた骨が覗く腕を声になっていないくぐもった声とともに、僕に向かって差し出してきた。  その様は助けを求めるようにも、手を握りたがっているようにも見える。  だが僕はその手を取らず、小刻みに震える手を凝視するだけに留まった。剥き身の肉と骨の混合物など触れたくない。  ──正確には異常な状態に置かれていると今更把握して、体が竦んでしまっているだけなのだが。  それでも手を繋げと、意識の奥底に潜む誰かが告げてくる。彼女は間違いなく『母親』だから最期の願いくらい叶えろと訴えている。  ────僕に『母親』なんていない。自分に言い聞かせるように言葉を反芻し、事実を飲み下す。それでも胸にわだかまるもやもやは霧散しない。  僅かに滲んだ理解できない感情を持て余していると、室内に蔓延し始めた強烈な腐臭と血腥い臭いが鼻に衝き、思わず顔を顰めた。  床を摺る音に、無意識に後ろに下がったと気付く。下がった時に、頬の一部がやけに涼しく感じたのはきっと気のせいだ。  強い不快感と吐き気を催す死臭は、きっとこの先々で比にならない密度を嗅いで慣れてしまうだろう。これはその前触れでしかない。  変に冴えた頭でそんな事を鬱々と思いながら、石畳に横たわる生き物だったモノを見下ろす。  剥き出しになった眼球がギョロリと動き、目が合う。まるで死んだ魚のような目には虚空だけが鎮座していて、何も見出だせない。少なくとも僕には。  とっくの昔に亡くなっていた筈の『母親』らしい人物は、今まで喰われていた死期を迎え、本来なっているべき姿になりつつある。  不意に世界が滲み指を目元にやると、薄らと濡れていた。ああ泣いているのかと無感動に呟く。  あの時の僕達は、愚かなほど無知だった。せめてあの場に居合わせなければ……。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!