悲劇の沫夢

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 最愛の女性(ひと)と永遠(とわ)の愛を誓って、まもなく九年を迎える。 「お父さん遊んで」 「あそんでー」 「はいはい。遊んであげるから、二人して足に抱きつくのやめような?」  脳裏で再生されるのは、私の全てが狂う前に築き上げ守ってきた大切な家族の声。そしてぼんやりと浮かび上がるその時の映像。  遊んでほしいと強請る子供たちが私の足に引っ付いて、離すよう促しても中々離れようとしなかった時の記憶。  お世辞にも私は辛抱強いとはいえない。友人知人から散々言われたし、それで失敗した事例がいくつかある。直さなくてはとそのたびに自省しても、結局は元の木阿弥なわけで。  何度言い聞かせても全く離れてくれないものだから、痺れを切らしてちょっと声を張り上げると肩が跳ね上がる。そして目が見る間に潤み、示し合わせたかのように二人同時に泣きだすのだ。  ぎょっとして自分の失態に気付いた頃には時既に遅く、泣き声に反応した妻が目くじらを立てて飛んできて私を叱るという、もはやお決まりの構図。  慌ててあやしながら子供たちを抱き締める頃にはとっくに涙が引っ込んでいて、うってかわって嬉しそうに破顔して私の頬をつねったり髪を引っ張ったりして遊び始める。これも定番だった。  子供の成長を喜び、ほんの少し辟易した、何物にもかえがたい幸福の一コマ。  懐かしさで心を満たしていると、肌を刺すような冷気に晒されふっとその情景が霧散した。刹那に我に返り、幸せだった頃の過去に触れ思わず弛んでいた顔を瞬時に構築した冷血の仮面を被って引き締める。  安息を求めてはならないとあれほど律してきたのに。正念場が明日に控えているんだ、気を緩めたら全てが水泡に帰す。  吐き出した息は白く、崩れ落ちた城壁に背を預けて地べたに座り込んでいる私はおもむろに空を見上げた。物思いに耽りすぎたらしい、いつの間にか夜が更けっていた。  惜し気もなく堂々と星月夜を曝す天。闇夜にちりばめられた星は疎らに瞬き、〝死〟の兄弟ともされる三日月は銀色のベールを纏っていた。  ────天空で織り成される情景より、私の持つ記憶のほうが燦然と輝いている。  そんな思いが頭をよぎって、自嘲した。  天空には全ての元凶が棲んでいる。そんなものは比べる価値もない。
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