【第二話】

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「ここが俺の家だ」 「なんだ、早く言えよ。危うく通り過ぎるところだったじゃねェか」 悪態をつきながら、小太郎君は白樺荘をグルリと見渡した。 「へぇ。なかなか感じ出てんじゃんか。オレ、こういう古臭くて地味な雰囲気、嫌いじゃないぜ」 「お気に召してもらえて幸いだよ」 「あとは内装だな。間取りと日当たり、家賃、ご近所さんの人柄も要チェックだ」 「何様だよ」 「部屋はどこだい、おにーちゃん?」 「二階の奥から二番目」 「そりゃァいい」 まるで旅行に来たかのよう。 何がそんなに楽しいのか、小太郎君は、その小柄な身体を軽快に弾ませながら、階段を上っていく。 タン、タン、と小気味のよいステップの音が、冷え切った夜の空気を経由して、俺の耳を刺激してくる。 まったく。他人を家に招くだなんて、いつ以来だろうか。 最後に招いたのは確か―――、 ――こういう雰囲気の家が好きなの? ――ふぅん、 ――京介らしいね。 階段の踊り場で振り返り、悪戯っぽい笑みを見せる――葛城杏奈の姿が目に映った。 温かく心地よい、懐かしい彼女の声が聞こえた。 「……ッ」 瞬きを2、3回繰り返し、ようやくそれが気のせいだと気付いた。 俺の視線の先にいるのは、小太郎君だけ。 聞こえるのは、夜の静寂だけ。 葛城杏奈はそこにいない。 葛城杏奈の声も聞こえない。 胸を抉られるかのように、虚しい幻覚だった。 やっちまった。 後悔と苛立ちが、全身を蝕む。 こんな唐突に、"アイツ"のことを思い出すなんて、最低の気分だ。 馬鹿馬鹿しい、と、それ以上の思考を止め、俺は、先に歩いていった小太郎君の背中を追った。 振り返っても、もう二度と、幻覚は見えなかった。 哀しくは―――なかった。 ―――――。
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