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「お前は公爵夫人のディナーになりに、ここへ来たのですか?」
開口一番、キッチンへ入ってきた男はそう言いました。
何とも妙な格好の男です。
男のくせに頭には先のぴんと立ったリボンカチューシャをつけ、優しい顔立ちに怪しげなモノクルをかけています。
ピエロの様な色とりどりの服のあちこちから大小様々な懐中時計を提げていて、この全ての時計の時間を合わせるのはとても大変だろうとイーディスは思いました。
「公爵夫人の、ディナー…?」
イーディスはすっかり混乱して、妙な男の言葉をオウム返しに訊ねました。
男は答えず、赤ワイン色の目を細めてこちらを眺めています。
男の視線をたどる様にして、なんとなしにイーディスは自分の周りに目をやります。
すると──
「う、うわぁっ!?」
短い悲鳴を上げ、転げ落ちるようにしてイーディスはそこから離れました。
何故今まで気付かなかったのでしょう、イーディスが寝かされていたそこは、キッチンの中央にある調理台でした。
そしてイーディスのすぐ隣には、特大の肉切り包丁が鈍く光っていたのです。他にも調理ばさみやナイフ、イーディスを取り囲むように並べられた刃物、刃物、刃物。
自分がこの調理台で捌かれて、男の言う通り公爵夫人とやらの食卓に上ろうとしているのは、火を見るよりも明らかでした。
「こ…ここは、地獄なの?」
やはり自分はもう死んでいて、これから地獄の魔王の晩餐になるのに違いない、と思ったイーディスは、声を震わせて男に聞きました。
「地獄?地獄ですって?」
ところが男ときたら、イーディスの言葉を聞くや、手を叩いて大笑いをするではありませんか。子供が怯えているというのにあんまりな仕打ちです。
「あっははは!ウサギ穴に落ちてここへ来た皆さん、口を揃えて“ここは地球の裏側か”とお訊ねになりますが…地獄かと聞かれたのは初めてだ!随分と哀れな想像力をお持ちなのですね」
ひとしきり笑ってから、男はずれたモノクルを押し上げ答えます。
「ここは公爵邸、料理女メアリ・アンの厨房です。お前は死んだのではありませんよ──今は、まだ」
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