『かがみや』始動

6/16
前へ
/82ページ
次へ
彼女は焦っていた。 昨日までの自分よりも遥かに余裕を保っていると言えたが、昨日までとは、また別種の焦りを抱えていた。 マメな彼女は、事あるごとにコンパクトを覗き込んだが、その度に、鏡面の端をチラチラと不審な影がちらつくのだ。 以前は振り返っても、そこには誰もいないように見えたが、こうしてさり気なくに後ろを確認すると、ある時は電柱に、ある時は曲がり角に、サッと逃げ込む影が見えた。 以前は漠然とした不安でしかなかったが、こうして姿を目視してみれば、やはり自分は狙われているのだという実感が、嫌でも湧き上がってくる。 何度となく、悲鳴をあげて駆け出したくなったが、 手に持つ鏡から、店主の、あの掴みどころのない、それでいてどこか自信ありげな視線が伝わってくるような気がして、『自分は今、一人ではないのだ』、と思う事で、辛うじて衝動を抑える事ができた。 こちらも相手を捉えているのだという一種の余裕も、彼女を支える要因になっているのかもしれない。 それからも、不審な影が退散する事はなかったが、手の平の中に収まるソレを握り締める事で、馬鹿な行動はとらずに済んだ。 ……ただ、そのうちに、彼女は、自らの視覚に捉える影と、自身の【チカラ】で捉えた影との間に、奇妙なズレと違和感を感じたのだが、見慣れた我が家の玄関が、そんな思いを吹き飛ばす。 ここが、いかに自分にとって重要な場所だったかを再確認する。 彼女が家の扉を慎重に閉めるのを確認すると、影達は闇へと散って行った。
/82ページ

最初のコメントを投稿しよう!

107人が本棚に入れています
本棚に追加