その男『かがみや』につき

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倒れた仲間から端末を引き継ぎ、操作していた部下が、声を潜めて報告する。 「幻覚系、肉体変化系に加えて、瞬間移動系も検索にかけてはみましたが……どれも該当せず」 「特殊カテゴリの線も考慮しろ」 「いえ、それよりも……彼の個人データそのものが見当たりません」 声に困惑が混じっている。 「なに……?」 個人データ。 この国では、チカラの発動を確認した場合、その旨を能理へと届け出て、能力者登録をする事が義務付けられている。 そして、この端末は、声紋認証や顔認識により、対象を国のデータベースと照合し、該当者を割り出す目的で使用される、能力捜査の必須装備なのだ。 しかし、よく誤解されるが、この端末が照合しているのは何も、能力者リストだけではない。 もちろん相手が非能力者である可能性もあれば、最近になってチカラに目覚めたにも関わらず、それを届け出ないまま犯罪に使用するというケースも多い。 そういった場合に備え、端末の照合先は国民のあらゆる情報が集約されたデータベースに設定されている。 このデータベースには、チカラの有無は勿論の事、生年月日から住所、経歴まで、社会における個人のほぼ全てが記載されている。 能理官は、これらの情報を、簡潔に個人データと呼称する。 つまり、個人データとは、戸籍をさらに詳細にしたものなのだ。 これは、チカラが発現しない限り登録されない能力者リストとは違い、この国で生を受けた者ならば誰しも、内容に密度差はあれど、必ず持っているはずのモノなのだ。 ……その個人データがない。 「……どうやら罪状に不法入国も加えねばならんらしいな」 「おやまあ、身に覚えがないんですが……冤罪ですね」 「ふん、残念だったな、お前には個人データがない」 「個人データ……? あれですかね、戸籍みたいな?」 「それすら知らんとはな、お笑い草だ」 男は鼻でわらうが…… 「ああ、そりゃあないでしょう。……なんせ、生まれてこの方、この世界の政府にゃお世話になった覚えがないんでね」 「なんだと?」 政府の世話にならない。 これは存外、難しい事だ。 現代社会で生きる人間にとって、行政は切っても切れないのだから。 自覚があろうとなかろうと、どれほど遠回しになったとしても、大なり小なり政府の世話になっているというのに。
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