ようこそ『かがみや』へ

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「紅茶でいい?」 店主が一体どこから取り出したのか、ティーポットとカップを見せながらフレンドリーに聞く。 「ぇ、あど、どうぞお構いなく……」 すっかり少女は店主のペースに呑まれているようだ。 「んじゃ紅茶ね」 コポコポという音をたてて、カップに液体が注がれる。湯気と共に芳醇な香りが辺りに振りまかれ、その香りは少女をとても落ち着かせた。 落ち着き、余裕を取り戻した少女は、心にある疑問が浮かぶと同時に、一つの感情を抱いた。 「あの……なんで怒らないんですか?」 「何に?」 自分の分のカップへ紅茶を注ぎながら店主が答える 「その……お店が気持ち悪いだなんていって……ごめんなさい……」 カップに両手を添えた少女が俯きながら謝罪する。 少し言葉を交わしただけだが、店主の言動から、彼だって自分の店にある程度の愛着を持っているのはなんとなく分かる。 例え気にしていないように見えても、やはり傷付けてしまったかもしれないのならば謝るべきだと思ったのだろう。 紅茶に映る彼女の顔には、申し訳なさが波紋をつくっていた。 だが、少女の重苦しさとは対照的に、店主のやたらと軽い声が応える。 「ああ、それは仕方が無いよ。実際ここに来る人は大なり小なり酔っちゃうもんだからね」 確かに彼の言葉は最もだった。 先程も言ったが、店内には、壁一面に鏡がかけられており、その対面の鏡が互いに映しあい、合わせ鏡になっている。 どこを見渡しても、その無限に続く鏡の回廊の中で、これまた無限に映った自分がこちらを見返してくるのだから、気持ち悪くなっても当たり前である。 というより、常人がここに一日もいたのならば、確実に狂ってしまうだろう。 店主であるこの男は、こんな店にいて平気なのだろうか? いやむしろ、彼はもう既に狂ってしまっているのかもしれない。 自分の店をけなされてバカ笑いできるのも狂人ゆえなのだろうか。 はたして優雅に紅茶を啜るこの男が、本当に狂っていないと誰が言い切れようか。 「おや、飲まないのかい? 冷めてしまうよ?」
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