鏡と偽善と兄弟と

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確かに彼女の兄は、この街においてそれなりの役職についており、決して稼ぎが悪い訳ではなく、むしろ一般的な家庭よりも裕福であろう。 しかしその金を、彼女が自分のために遣う事は、極稀であった。 なぜなら、その稼ぎは、たった一人の肉親であるところの兄が、汗水垂らして稼いだ金である。 彼女の誇るべき兄の仕事は、非常に意義ある役目であるが故に、常に忙しく、それこそ唯一の家族との時間すら、とれないのだ。 まさしく今この時のように。 そも、家には彼女と兄の二人しかおらず、その兄すらも、最近では、もはやこの家の住人と言えるかは怪しいところである。 故に、金は貯まる一方。 兄が少々休みをとったところで、暮らしに困る事はまったくない。 もちろん、彼女は、口下手で不器用な兄が、それ程までに自らの役目を熱心にこなす訳が、彼自身の大きすぎる責任感のみにあらず、妹に良い暮らしをさせてやろうという魂胆によるものだと知っている。 だがしかし、彼女はそんな事よりもまず、兄に居て欲しかった。 隣の家の御主人と同じ時分に家に帰ってほしかった。 親友の家のように、毎朝の食卓を、家族で囲みたかった。 己一人で食べる夕食の、なんと味気ない事か。 つまり彼女は、兄が身を粉にして稼いだ金で贅沢する事をよしとしなかった。 袖の膨らんだ、流行りの衣一枚買うのに、彼がどのくらいの時間、街を巡回するのか。 リボン一巻きは、彼の書類を何枚減らせるだろうか。 彼女の地味な、飾り気のない服装は、ある意味、彼女の兄に対するささやかな反抗なのかもしれなかった。 口下手で、変に意地が張っているのもお揃いだ。 血は争えない。
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