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『……いけない、服にソースがとんでる。シミになっちゃうから、ちょっと見てくるね』
彼女がそう言って、席を立ってから、もう数分以上が経っていた。
ひらりと翻ったワンピースに、それらしい染みは見当たらなかったが、それを言ってしまえば、無粋極まると言うものだ。
もしも運ばれて来たなら、先に食べても構わない、と言われていたクッキーも、相変わらずの調子である。
二人用のテーブルに一人、ぽつんと座る少年は、足をぷらぷらさせ、傍目から見ても、明らかに退屈している。
そんな彼に、従業員が声をかけたのは、もう数分してからであった。
「ねぇ、ボク?」
「なあに、おねえさん?」
口を尖らせていた少年が怪訝な顔で振り返る。
「なんだかボクに伝言あるみたいなの」
「だれから……?」
「私は店長に聞いたから、分からないんだけど……『ごめんなさい、先に帰ります』だって」
「ええ!? お姉ちゃんが?」
あいにくと、従業員は、この席の顔振れを把握していなかったようで、曖昧に頷いた。
「う、うん……多分、そうね。店長が言うには、なんだか急用が出来たらしいの。お代はもう貰ってるから、坊やはそのまま帰ってもいいみたい」
「えー、紅茶とクッキー……まだ来てないよ?」
「あら、そうなの? ……ごめんなさい、何か不手際があったみたいね」
それはそれは残念そうに眉尻を下げる少年の頭を、思わず撫でそうになった従業員であったが、それは踏みとどまった。あの恐ろしい店長が見ているのだ。誰だって、こんなに割の良い仕事を失いたくはない。
「すぐ作るわ、待ってて」
「ううん、いいよ。おねえちゃんが帰ったんなら、ボクも帰らなきゃ……ごちそうさま!」
少年はひょいと席を飛び降りると、ぺこりと頭を下げ、そのまま外へとパタパタ駆けていった。
少年の背がほんのりと赤く染まりだした街へと溶けていく。
……その夕暮れに二人が消えた。
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