一章・伝染ナルコレプシー『柳沢鳴子の物語』

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 俺はそこで言葉を切って黙考を始める。  鮫島やその他過去の体験者の証言を纏めるに、今の発言がいかに的外れだったかがわかる。  この件で文芸部を訪れた鮫島を含む五人は口を揃えてこう言った。  景色が反転した町を一昼夜彷徨った――と。  だというのに元の世界に戻るとほんの数時間しか経っていなかった――と。  鏡の中に入れたところで鏡の中に別の世界が広がっているとは思えない。  鏡云々はあくまでも比喩なのだ。恐らくは景色が反転していたからだろう。 「鏡の中は所詮、鏡の中でしかない。景色を映す水面の中がただの水中であるようにな。異世界が広がっていると考えるのはファンタジー過ぎる。嫌いではないがな」 「だとするとどういうことなんだ?」  テンコは曰く憑きに精通している。  俺の知識はその全てがテンコからもたらされたものだ。 「断言は出来ないが、鏡の中のような世界を作り上げているのだろうよ。冗談抜きで興味がある。そんな規模の曰く憑きは珍しいからな」 「規模?」  俺は首を捻る。 「規模という言い回しは適切ではなかったか。簡単に言うのなら他者に影響を及ぼす曰く憑きというのは少ないという話だよ」  唇で舌を舐めてテンコは伸ばした自分の足の爪先を見る。  曰く憑きには超常的な能力が宿るのだという。無論、俺の横で大きな欠伸を浮かべるテンコも常識から逸脱した存在だ。  テンコは言っていた。今でこそ御原市の風土病に成り下がってしまったこの病気も、かつては全世界に分布する極めてポピュラーな病気だったのだという。  人口の増加と共に、あるいは科学の発展と共に失われたそれは―――、  例えば魔法と呼ばれて畏れられていたモノ  例えば憑き物と呼ばれて忌み嫌われていたモノ。  例えば神様として敬われていたモノ。  世界中から神秘霊妙の類が消えてゆく中で、今も人々の魂の奥底に沈殿している古の残滓。  そして同時に曰く憑きとは科学が未だに到達していない領域でもある。  テンコはこうも言っていた。  その禁忌に人間が踏み込んだとき、曰く憑きは世界から消え去るのだろう、と。
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