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「覚えているようで何よりだ」
テンコは笑う。泣き出しそうな顔で。
幼馴染みを失った俺の世界に現れたのは、テンコだった。
それが出会い。それが始まり。
俺は首に下げたお守りを握る。この中に長坂ユウキの指が入っている。
彼女は曰く憑きに影を喰われて存在をなくしてしまった。
こうして肌身離さず持ち歩いているのは、彼女を忘れないようにという理由の他にもう一つ、大きな意味合いがある。
長坂ユウキとの繋がりは同時にテンコとの繋がりでもある。
あの事件が起きなければ俺はテンコと邂逅することはなかった。
あくまでもこれは憶測の域を出ないが、ユウキを忘却したとき、俺はきっとテンコのことも忘れてしまうのだと思う。
だって辻褄が合わなくなる。
エラーの生じたデータが再生できなくなるように、記憶は壊れてしまうのだろう。
そしてそうなってしまうことを俺は何よりも恐れているのだ。
「というかさ、もう結論にしようぜ」
壁掛け時計に視線を流す。現在時刻午後の七時。柳田家の晩御飯の時間が迫っている。
両親の前でこの手の話が出来るはずもなく――痛い子だと思われる可能性が高い――かといって夕飯の後にこの話題をおかわりしようとも思えなかった。
「そうだなー」
テンコも俺に倣って振り返り、時計を見上げると小さな顎を引いた。
「説明が難しくてついつい脱線をしてしまったが……第一に曰く憑きのテリトリーに入り込んで無事に帰れたという点」
テンコは人差し指を立てて言う。
これまでの話を総括するに確かに稀なのかもしれない。少なくともユウキは戻ってこられなかった。
「もう一つは仮想世界を構築し、その中に自分以外の人間が入れているという点。どれくらいの広さなのかはわからんが、少なくともまる一日歩き回れたのだろう? そして完全とはいえないまでも町をコピーしている。そいつ化け物だぞ」
「そうは言われても俺には理解できないけど」
素人が絵画を観ても何が優れているのか理解できないのと同じだ。
幾らか考えてみたけどもテンコのほうが化け物だった。そんな答えが出たところで階下から晩飯を報せる声が響き、テンコが勢い良く立ち上がった。
「もう少し情報が欲しい。明日にでも聞いてこい」
言うが早いか、曰く憑きの怪物は戸を開けて部屋を出てゆく。
海老フライの歌(即興)を口ずさみながら。
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