一章・伝染ナルコレプシー『柳沢鳴子の物語』

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「むしろ逆……かも」  それなのに遠野の表情は冴えない。その逆とはどういう意味だろうか。  差し出された現代文のプリントを受け取り裏面に書かれた汚い文字に目を通すと、俺の表情も遠野と同じモノになった。 「――あの馬鹿」  想起したのは不吉にもユウキの背中と笑窪の出来る幼い笑顔だった。  曰く憑きを調査に行くと言い残したきり、彼女は帰ってこなかった。  それと同じように鮫島も件の曰く憑きを調べに行くと書き残している。 「……私が原因かも。大丈夫かな」  遠野はソファに腰を静めると誰にでもなくそう呟いた。  鮫島の体質を思えば確かに心配だ。  それでも鮫島は何度も生還した男である。ユウキとは違う。そう言い聞かせる。 「鏡の世界とやらの質問なんだけどさ」 「なに?」  上の空といった様子で遠野は応えた。 「被害者に共通点ってあったっけ?」  遠野と同じ話を俺も聞いていた。  しかし遠野は俺よりも頭の切れる人間だ。見えている景色も違うはずである。 「性別に共通点はなく、学年もクラスも違った」  俺は一つ一つ情報を上げてゆく。遠野は険しい顔で天井を見上げていた。 「この学校で五人もいる。多分、そういった経験をした人間はかなりの数になると思うんだけど」  皆が皆、文芸部に相談しに来るとは限らない。むしろ少数派だろう。 「――そうとは限らないかもしれない」  遠野は静かに言った。彼女は俺を見ようともせずにソファから背中を離した。 「どういうこと?」 「この学校限定の噂話なのかもしれないということ。原因がこの学校にあるのかもしれないということ。もちろんあくまでも仮定よ? 私たちが聞いた話の中で五人に共通するのは百花高校の生徒だということ」  遠野の指摘は一理ある。  屁理屈のように聞こえるかもしれないが、確かにそれが共通点の一つだ。  一連の噂話が流れ始めたのは三月の上旬。  進級を控えた頃だったと記憶している。  それから一ヶ月が経った頃――二年になったばかりの俺たちの前にひとり目の体験者が現れた。  つまり少なくとも鏡の世界に迷い込んだ人間がもうひとりいるということになる。  そうでなければ噂話が広がらないからだ。
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