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春だというのに、その日はやけに冷え込んだ。寒い日は終日机と向かい合い、日が落ちるまで筆を執る。それが私の趣味であり、また仕事でもあった。私は窓の水滴を拭き取り、吹きすさぶ庭を見た。天気がよければ外へ散歩にでも行くが、なにしろ季節はずれの北風に町は震えている。窓の中には、安寧がだらしもなく横臥している。
いつの間にか筆を持つ手は止まり、視線は宙を泳いでいた。引き寄せられるように右へ左へ波打つうちに、てんとう虫が所在無げに虚空を舞っていることに気が付いた。壁に飛びついてはまた羽を広げ、柱をつらまえては、再び羽ばたいていく。
それを三遍ほど繰り返したところで、私はひょいと筆を立ててみた。てんとう虫は、頼りなく聳える毛筆を見取ると、迷わず筆の根本にしがみついた。
さてはてんとう虫、筆を昇る気だな。
私がそう思い切るより先に、赤い背中は竹作りの柄を昇りはじめた。せわしなく脚を動かし、脇目も振らずてんとう虫は昇っていく。
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