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立てた筆から墨の雫が垂れて、惚けていた私は慌てて硯を下に受けた。筆を見遣ると、墨を吸った黒い毛の頂に、真っ赤なてんとう虫が佇んでいる。その毅然とした姿に私が息をのむと、赤い羽を勇猛に広げ、虚空を睨みつけた。一つ羽ばたく。その体は宙へ舞い上がり、筆からは細かく飛沫がたった。美しい曲線を描きながら、てんとう虫は一度こちらへ振り返ったかと思うと、一直線に窓を目指し、張り付いた。私は立ち上がり、窓にとまるてんとう虫を覗き込んだ。彼はただ窓に取り付いているのではない。窓を通り抜け、吹き荒れる外を臨んでいる。私は居住まいをただし、窓をゆっくりと開けた。途端に彼は隙間を縫って外へ飛び出し、その赤い背中はすぐに見えなくなった。
窓を見ると、てんとう虫の足跡が黒く残っている。細く華奢な脚だった。私は窓の隙間を少し空けたまま、もう一度筆を執った。
窓の足跡は、今も消えていない。
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