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のどかだ。上質な香のような匂いを運び、身を包む暖かな春風。雲一つない抜けるような青空。眼前に広がる緑々とした草原。森林から聴こえる鳥達の歌声。
この一時、世が乱世である事を忘れてしまいそうになる。本当に自然とは偉大なるものだ。
いや。今、私の心に爽風が吹き抜けているのはなにも目の前の情景がすべてではない。
「それ、陳武! そちらへ逃げたぞ!! 追い込めぇ!!」
馬に跨がり、弓を構え、ウサギを追いながら快活さが窺える大きな声を出す若者。
角張った顎。意志の強さが篭る丸く大きな瞳。額が広く、日に焼けた褐色の顔。肩幅が広く筋骨隆々の見事な体躯。弓を引き絞る太い腕。
右へ左へ、全速力で逃げるウサギをまるで、止まっている的かのように彼の放った矢が貫いた。ウサギは動きを止めて、草原に突っ伏した。
「はっはっはっは! 見たか!! 俺の腕を」
馬上で豪快に笑う、彼は私が主として仕える孫堅様の長男孫策様。私は彼が幼少のころから彼の教育係をしている。
「王憲!!」 孫策様が馬上で私に振り返る。
「俺の腕はどうだ?! 親父を越えたか?」
私は微笑みを携えて、「孫堅様の域にはまだまだ及びませぬ」。と答えた。
私の答えに孫策様は大きな目を開き、「がはっ」。と笑った。
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