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少女は言葉につまり、何も声が出せないようだった。
「では、失礼します。何かあったら医師に伝えるように。退院する頃に迎えをやります」
私は病室を出ようとする。
「待って」と言う声が聞こえたのはその時だった。
炭鉱でのシーンがよみがえる。
『独りにしないで』
私は振り向くと、少女の頬を流れ落ちる涙を見た。
数秒のためらいにも似た時間の後、彼女は頭を下げながら言う。
「いえ、なんでもないです。ごめんなさい。何で泣いてるんだろ? ごめんなさい。たぶん、うれし涙です。私、なんてお礼を言ったらいいか……」
私はやさしく笑むと、そのまま病室を出て行く。
彼女が、私の正体に気づくことはない。
娘の、私に関する記憶は全て始末したのだ。
ああ、これで良い。
娘の母親の顔も、名前も、全てを忘れてしまった私には、娘を愛する資格など無い。
後は急造してつくらせた慈善活動の組織に任せよう。
もう、二度と会うつもりは無いが、この記憶だけは、ずっと残しておこうと思う。
今更生き方など変えられない。
だが……
私は、原因不明に流れ出た涙を払うと、あの炭鉱跡で使ったリモコンをそっと撫でた。
リモコンには「発進」と「切り替え」と書かれた、二つのボタンがあった。
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