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俺は、彫文さんに振り向き口を開こうとする。
「慌てなくても大丈夫やけんっ。じっくり考えてから、また来たら良かよ」
彫文さんは、俺の何かに気づいたのかニカッと笑顔を見せると、九州弁で言葉を口にした。
それから俺達は、刺青に関係なく他愛もない話しで盛り上がり、その瞬間からそこはもう偬次郎こと麗香の独壇場になる。
その雑談の中で、俺は彫文さんのことを文さんと呼ぶようになっていた。
オカマの偬次郎は、自分のことは麗香と呼んでくれと駄々をこねるので、俺は仕方なく麗香と呼ぶことにした。
いつの間にか俺は、ここに居るみんなと昔からの知り合いだったかのように親しくなっている。
みんなの顔が、笑顔に包まれている。
なぜだろう……めちゃくちゃ懐かしい感じがすんな……
俺は、この光景を客観的に見つめそう思った。
中学生の時に両親と弟を交通事故で失った俺はそれ以来、久しぶりに心の奥底がフッと温かくなる。
柄にもなく、この心地良い空間に感傷的になった俺は思わず可笑しくなり、口元をほんの少しだけ緩め心の中でフッと笑った。
「鉄くん。どうかしたのっ?」
麗香の騒がしい声が響く中、それに気づいた美優が俺に声をかける。
美優は俺のことをそう呼ぶようになっていた。
「いやっ、なんでもねぇ」
俺は美優に視線を向けると、フッと笑みをこぼし答える。
美優は、ちょっとだけ頬を染めニコッと俺に笑顔を返した。
美優の笑顔を見た瞬間、俺の胸がチクンと微かに痛む。
なんだ、この感じは……
それは俺が今まで感じたことの無い感情だった。
だが、悪い気はしない。
その瞬間、俺は心を決める。
俺は惚けたような顔で冗談を飛ばす文さんにスッと視線を送る。
「文さんっ……」
文さんが、んっ?というような顔でフッと右前にいる俺に振り返り視線を向ける。
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