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羌道(キョウドウ)を通り、南東の関城を目指して駆けていた。 何日も何日も、馬を潰さないよう、駆け続けた。 次第に兵の群れが四方から集まってきて、姜維の軍勢に合流した。 べつの退路を経由してきた部隊である。 まともに楊欣の追撃を食らった部隊はなく、飢えていること以外はまったく不足のない、すぐにでも戦に投入できる部隊ばかりだった。 撤退戦は被害を抑えることがなにより重要だと姜維は理解していた。 いくつかに散った部隊が順次合流することで、敵軍の追撃を分散させることができる。 何度も北伐を斥けられ、苦渋の退却を選んできた姜維が生み出した、彼だけの行軍法だった。 「お前達は、ここに残り、三日待て。逃げ落ちた兵をまとめて関城に来るのだ。私の見立てでは、あと五千は集結するだろう」 麾下の者を数名呼び付け、指示を出した。 その者達は力強く肯き、駆け出した。 それを見届けた姜維は、進軍を開始する。 しかし、その歩みも橋頭を目前にして止まってしまった。 先に出した斥候の報告によると、敵軍の将諸葛緒が橋頭に駐屯し、退路を塞いでいるという。 橋頭を占拠されたとなると、迂回して関城を目指す必要が出てくる。 最短経路を潰されたということだった。 敵の狙いはやはり自分の足を止めることか。 姜維は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。 鍾会が大軍を率いて漢中に侵入するだけでは足りないと、敵はわかっていた。 漢中は要害の地で、十万の兵がこようとまとめて跳ね返すだけの防衛力がある。 しかし、それは優れた指揮官の下で漢中が一匹の生き物のように機能した時だけである。 その頭にあたる姜維がいない漢中は統制がとれず、鍾会を阻むことは非常に難しい。 鍾会は三国を見渡しても上回る者が見当たらないほどの指揮官である。 そこで動いたのがトウ艾と諸葛緒だった。 姜維を釘づけにするためだけに動いたと言っても良い。 三路からの侵攻は、姜維を潰すことが狙いだった。
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