11/12
前へ
/321ページ
次へ
軽く咳払いをして、鍾会は仕切り直した。 「将軍。予定通り、明日の正午、私自ら剣と、鎧の授与を行なう。それが済み次第、すぐに兵をまとめて北進せよ。巴蜀にある軍も将軍に従って動く手筈になっている。南鄭に入って漢中を抑え、司馬昭及び先遣隊の賈充(カジュウ)を漢中の地で屠り、そのまま斜谷(ヤコク)へ出撃し、長安までの道を征圧せよ。それに私の軍は続き、長安からは陸路と水路に別れて進軍する。そうなればもう都はこの手に落ちたも同然だね」 確認するように告げた。 姜維はただ押し黙って肯くだけである。 それが篝火の朱(アカ)と混じって異様な雰囲気を醸し出していた。 不安が拭えたわけではない。 この期に及んで姜維が自分を斬り捨てる可能性がない、とは思っていない。 しかし与えられるものはすべて与えてきた。 軍も、地位も、名誉も、信頼も、なにもかも与えてきたではないか。 失われた国すらも与えてやると約束し、着実に蜀漢は復活しようとしている。 鍾会はもうこれ以上姜維に尽くしてやれる気がしなかった。 まだ不足だというなら、その不足をぜひ教えて欲しい。 「兵の調練はどうなっているかね」 「上々ですよ。われらの駿足は風にも勝ります」 「頼もしい。ここからは時間との勝負だ。そして三国一の駿足精強な軍は将軍の軍だろう。成果を楽しみにしておこう」 なにかが変わった、気がする。 そのなにかは説明できない。 白知秋の雰囲気が変わったものより、ほんのわずかな変化だ。 口調でもなく、仕草でもない。 あえて言うなら、目付き、いや、目の奥の光だ。 鉱石のなかにくすぶる礫(ツブテ)が、光に翳(カザ)した時に色を濁す。 そんな小さな違和感。 浅葱色を捨てた姜維は、不穏な気配を滲み出しているようだった。 これから国家を立て直す気概に満ちているのかもしれない。 それ以上のことが、鍾会には思いつかなかった。 ここまできて自分を殺したところでなににもならないというのは、姜維もわかっているはずだ。 わかっているからこそ、暗殺の絶好の機会である今も大人しくしているのだ。
/321ページ

最初のコメントを投稿しよう!

213人が本棚に入れています
本棚に追加