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朝の木の匂い。 鼻をくすぐってくる。 小さい頃は毎日外に出て、兄と遊んでいた。 家に戻ると父の教えを聞いて、ご飯を食べてぐっすり寝る。 また、朝になると外に出て遊んだ。 懐かしい。 こういう風に森や山を歩いているのが好きだった。 葉の先から露が垂れていた。 なめてみる。 昔を思い出した。 途端に、前に進む足が出なくなった。 兄は焼け死んだ。 父は殺された。 母は、どうだっただろう。 覚えていない。 自分の産みの親は物心つく前にとっくに死別していた。 なにもなかった。 手に入れたものもすべて失った。 今あるのは、忌々しい火傷だけ。 泣きたくなるのではない。 悔しいのでもない。 特別な負の感情があるのではなく、ただ前に進めない、それだけだった。 露は緑の奥に蒼や茶を映している。 よく見ると、それは辺りを反映しているのだとわかった。 吹けば消えそうな露のなかに、景色が詰め込まれている。 舌を出して、なめた。 もうそこにはなにもなかった。 立ち止まっているわけにはいかない。 はやく姜維(キョウイ)と鍾会の前から消えるのだ。 捜索隊を出されて見つかれば、また面倒事を引き起こしてしまうかもしれない。 野狐はひっそりと木陰で死ぬのがお似合いなのだ。 別れは告げた。 鍾会はそのうち姜維に殺されるだろう。 自分のせいで。 申し訳ない気持ちは捨てきれない。 あの石のことを無邪気に話す鍾会は、好きだった。 抱いた後に謝る鍾会のことは、好きで好きでたまらなかった。 自分を奪った代償としてなにかを取り返そうとしてくれた。 権謀家や姑息な狼と言われていたが、その本質は、愛に飢えた子どもだった。 そんな鍾会を嫌いになれるはずがなかった。 それでも、大事な人の夢のために、裏切ってしまった。 鍾会が殺されて九泉(キュウセン-あの世のこと)へ訪れた時には、謝ろうと思った。 許してもらえるとは思えないけれど、ただ頭を下げて、謝ろう。
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