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姜維がある程度近寄ると、鍾会は振り返って、にこりと笑った。
「やあ、待っていたよ。君も、ここにきてくれ」
鍾会に案内されるがままに、隣に並び立った。
成都の街が一望できて、行き交う人の表情や市場の声まで感じ取れそうである。
成都という街が生きているのだと肌で感じられる特別な場所だった。
「いよいよ、この時がきたんだね」
郷愁の念に駆られているのか、随分と鍾会は遠い目をしている。
姜維ははっとした。
彼の頬はやつれ、目の下の隈は濃く、髭は伸びて一部が白くなっていた。
杖がなければ立つこともままならないのかもしれない。
命を削って今日のために尽力してきたのだろう。
剣閣を抜けたばかりの鍾会でもこれほど衰弱してはいなかった。
自ら天下を取るために命をかけた、という感じではなかった。
天下取りはあくまで手段であり、目的はもっとべつのところにある。
鍾会の表情を見る限り、そう思わざるを得なかった。
出会った頃はなんでもやれると自信に満ちていた狼のような男だったが、今は違う。
弱さと強さが同居していた。
四十の男が見せる気魄、哀愁ではない。
その横顔は鍾会という人間の生き様を見せている。
剣閣を抜けてから今日に至るまでに、きっと彼になにか特別なことがあったのだろう。
己の人生を決定づけるような、なにかが。
「将軍。この街は良いね。益州はとても素晴らしい場所だ」
「ええ。良い街です。漢(カン)の統治は間違っておりませんでした」
「石が、よく採れる。綺麗な石だ」
「鉄や銅のことでしょうか。たしかに、純度の高い良質なものが採れます」
姜維の答えを聞いて、鍾会は力なく首を振った。
違うんだよと、言葉を発することもない。
姜維もそれ以上答えあぐねて、しばらく沈黙していた。
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