213人が本棚に入れています
本棚に追加
動乱の音はだんだんと近づいている。
すぐそこで戦闘が繰り広げられているようだった。
「将軍」
弱々しい声がした。
あまりにもか細いので最初は空耳かと思ったが、振り返ってみると、呆然と座り込んでいた鍾会が一瞥(イチベツ)し、言葉を紡ぎ始めた。
「こんなことになるとはね。すまない。私は、思い違いをしていたようだ」
「なにを申されます。まだ、諦めてはなりません」
「君の言う通り、皆殺しにしておけば良かったよ」
ぽつり、ぽつり。
光が落ちた。
まるで彼の命が溢れ出しているようで、美しかった。
「君達の、言う通りにしていれば」
そこで言の葉は途絶えた。
動乱がすぐそこに迫って、聞こえなくなったのだ。
姜維はしばらくその姿を見つめていた。
狼が人の子になった。
その末路が、これか。
あまりにも憐れだった。
あまりにも、非情だった。
「鍾将軍。私はあなたを守ります。どれだけ絶望されようと、私は助けます。さあ、お立ちになってください。あなたが望まれるなら、私は剣になりましょう。杖になりましょう。鍾将軍、あなたはなにを望まれますか」
嘘いつわりはない。
剛直で誠実だった。
ほんとうにそのつもりで言い放った。
それに対して、鍾会は力なく笑った。
眉を下げた、あの、困ったような笑みだった。
「では、どうするべきなのかね」
答えは求めていないと、すぐにわかった。
与えられた剣を抜き身にし、あえて答えてみせた。
「ただ、戦うのみです」
火の手がすぐ近くで上がった。
叛乱の波が政庁まで押し寄せたということだった。
それと同時に、蜀軍の太鼓の音が城内のいたるところで大きく打ち鳴らされる。
さらに政庁の前で蠢(ウゴメ)いていた叛乱軍を一閃が蹴散らした。
張翼。
姜維は旗を広げた。
気づけ。
気づいてくれ。
祈った。
それでこの男が助かるなら、いくらでも祈ってやる。
蜀漢の悲願まで、あと少しのところまできているのだ。
姜の旗をできる限り大きく振って、自分達はここだと訴えた。
張翼が気づいてこちらに進軍すれば、なんとか間に合う。
蜀軍の統制のとれた動きなら、あっという間に叛乱を鎮圧できる。
熱い血潮の限り、旗を振り続けた。
いつの間にか、唇から血が滴っていた。
最初のコメントを投稿しよう!