213人が本棚に入れています
本棚に追加
/321ページ
文官達を劉禅のもとへ集めたのは、廖化だった。
声を張り上げ、蜀軍の兵に命令を下し、剣を振るって護衛したものの、董厥らが無事に門を通ると自身も連れ添って中に入り、今はこうして火にあたって俯いている。
頬の辺りが汚れている。
返り血を浴びたものが、固まったのだろう。
すぐそばの肩の辺りには斬られた跡があって、痛々しい。
「痛みますか」
「浅傷(アサデ)です。どうってことはありません。ただ、どっと疲れましたな」
「躰(カラダ)が、ですか」
「いや、どうでしょうな、わかりません。ただ、剣を持つのは嫌だということだけはたしかです」
そういうものか、と思った。
陽炎(カゲロウ)がちらちらと彼を燃やしている。
その表情は将軍のものではなく、ひとりの疲れきった老人のものだった。
そういう彼の表情は初めて見る。
いつも彼は冷静沈着で、疲れなど微塵も顔に出さない真面目な人間だった。
心が老いた、と言うべきなのだろうか。
その気持ちはわからなくもない。
自分も老獪で、国家のためになにができるのかと塞ぎ込んでいた。
実際に戦場で人を殺すという立場の廖化は、自分よりもさらに思うところがあったに違いない。
剣を持ちたくないと思うのも、当然のことなのかもしれなかった。
「終わりですな、なにもかも」
「ええ」
「あなたは、これからどうしますか」
「魏の将軍にはなりません。疲れました。首を刎ねられるなら、本望です」
「高潔なお考えだ。私には、とても言えません」
「あなたは政務官に過ぎませんからな。命を懸けるところは、ここではありますまい」
それでも、自分がひどく卑しいような気がした。
死にたくないわけではない。
いっそ首を刎ねてくれたならこんな風に悩まずに済むのに、と思った。
政務官として、蜀の民心を慰撫し、帝王を輔佐し、人民のために政事をこなす。
それが善いことなのだ、というのはわかっているつもりだった。
その上で姜維らと反撥したことに後悔はしていない。
しかし、剣閣で見たものは、董厥にとって、簡単に忘れられるものではなかった。
最初のコメントを投稿しよう!