16/19

213人が本棚に入れています
本棚に追加
/321ページ
文官達を劉禅のもとへ集めたのは、廖化だった。 声を張り上げ、蜀軍の兵に命令を下し、剣を振るって護衛したものの、董厥らが無事に門を通ると自身も連れ添って中に入り、今はこうして火にあたって俯いている。 頬の辺りが汚れている。 返り血を浴びたものが、固まったのだろう。 すぐそばの肩の辺りには斬られた跡があって、痛々しい。 「痛みますか」 「浅傷(アサデ)です。どうってことはありません。ただ、どっと疲れましたな」 「躰(カラダ)が、ですか」 「いや、どうでしょうな、わかりません。ただ、剣を持つのは嫌だということだけはたしかです」 そういうものか、と思った。 陽炎(カゲロウ)がちらちらと彼を燃やしている。 その表情は将軍のものではなく、ひとりの疲れきった老人のものだった。 そういう彼の表情は初めて見る。 いつも彼は冷静沈着で、疲れなど微塵も顔に出さない真面目な人間だった。 心が老いた、と言うべきなのだろうか。 その気持ちはわからなくもない。 自分も老獪で、国家のためになにができるのかと塞ぎ込んでいた。 実際に戦場で人を殺すという立場の廖化は、自分よりもさらに思うところがあったに違いない。 剣を持ちたくないと思うのも、当然のことなのかもしれなかった。 「終わりですな、なにもかも」 「ええ」 「あなたは、これからどうしますか」 「魏の将軍にはなりません。疲れました。首を刎ねられるなら、本望です」 「高潔なお考えだ。私には、とても言えません」 「あなたは政務官に過ぎませんからな。命を懸けるところは、ここではありますまい」 それでも、自分がひどく卑しいような気がした。 死にたくないわけではない。 いっそ首を刎ねてくれたならこんな風に悩まずに済むのに、と思った。 政務官として、蜀の民心を慰撫し、帝王を輔佐し、人民のために政事をこなす。 それが善いことなのだ、というのはわかっているつもりだった。 その上で姜維らと反撥したことに後悔はしていない。 しかし、剣閣で見たものは、董厥にとって、簡単に忘れられるものではなかった。
/321ページ

最初のコメントを投稿しよう!

213人が本棚に入れています
本棚に追加