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しかし、胡烈が施設のなかにやってきた従卒に対して「鍾会は魏軍の兵を皆殺しにする」という嘘を流し、それが一夜の内に他の将校や官僚達の手下にまで広まってしまった。 胡烈の子で位が低く幽閉を免れていた胡淵(コエン)がその知らせに対し、ちょうど真昼時に父の兵を率いて囚われた父を救うため、陣太鼓を鳴らして門を出て成都へ向かって進軍をはじめた。 他の将校の軍勢も示し合わせたように陣太鼓を鳴らしながら進軍し、叛乱軍が成都を急襲する形になったのだという。 白知秋が見たものは、それらの軍勢だった。 予期せぬ事態に、鍾会はまったく反応できなかったようで、鍾会軍はことごとく殺された。 鎮圧に向かった張翼率いる蜀軍もいまだ苦戦を強いられている。 都をとろうとして巴蜀を落ち着けずに強行したのが、この結果を生んだのだろう。 しかし鍾会のとってきた政策自体はけっして悪手でなかった。 こんなみじめな結末を迎えたのは、やはり性急だったということかもしれない。 姜維と鍾会が死んだ。 その知らせを聞いた時、不思議と取り乱さなかった。 ただ一言そうですかと答えた。 今になっても涙を見せていない。 浅葱(アサギ)色の布で顔の半分を隠したまま、じっと成都を見守っている。 騒動に気づいてすぐに駆け付けたが、もう成都は荒廃の一途を辿っていて、遠巻きに眺めることしかできなくなっていた。 彼女はこの三日間、この場所を離れようとはしなかった。
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