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抱きしめられた。
その時、母の香りがした。
物心つく前に、抱かれていた母の腕のなか。
それは、ちょうどこんな風だった。
一度思い出すと、すべてが繋がったような気がした。
もう、菻も隠そうという気はないらしい。
紅い唇を曲げ、柔らかい笑みを浮かべていた。
「あなたは、強く生きなさい。自由に生きて、生き抜いて、見届けなさい。これからの時代を。三国が滅んで、新しく生まれる時代を」
そう言って、また抱きしめられた。
やっぱり母の匂いがした。
安心する。
涙が滲んでくる。
物心ついた頃からずっとひとりだった。
父も、母もいない。
世話になっている老婆がほんとうの家族でないことは、幼心にわかっているつもりだった。
ひとりきりだった。
孤独だった。
孤独に打ち震える夜もあった。
親の愛に恵まれて育っている他の子ども達に嫉妬することがあった。
どうして自分を産み落とした母は自分を捨てたのかと、恨んだ。
腕の温もり。
これが、愛されるということなのか。
少年は声をあげて泣いた。
泣く男は格好悪いと虐められても、かまわない。
みっともないと叱られても、かまわない。
赤子のように泣いた。
今生まれたかのように、産声をあげた。
「お母さん。お母さん。俺の、お母さん」
甘え方を知らなかった。
泣きじゃくることしかできなかった。
父か母に出会えたら、文句を言おうと思っていた。
怒鳴ってやろうと思っていた。
それもできそうにない。
真っ赤に目を腫らして、まぬけな声をあげることしかできなくなっていた。
菻の腕に抱かれて泣くのが、心地良かった。
「お母さんと呼んでくれるなんて、優しいのね。あなたの父にそっくりよ」
菻はそう言って頭を撫でた。
少年はしばらくそうやって母の愛に甘えていた。
ずっと甘えていたいと言って、菻に笑われていた。
そういうやりとりが、もう、たまらなく幸せだった。
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